※NICUの息子の写真載せています、不快に思われる方お戻りください
こんにちは、現在1歳6ヶ月(修正月齢1歳4ヶ月)の息子を育てる新米ママ・さくらママです(^^)
私は2018年7月7日に1,389g…極低出生体重児の息子を帝王切開で出産しました。
妊娠30週での早産でした。
今回はNICUに通っていた時の事を綴ります。
前回の記事→【NICU】修正31週(日齢6)、NICU通いスタート。初めてのケア、母乳綿棒。早産の原因、絨毛膜羊膜炎。
*早産の原因・在胎週数も違えば、子どもの成長・発達のスピードも違うと思いますので、あくまで私の体験談として綴らせて頂きます。このような内容を不快に思われる方はお控えください。
32週(日齢13)担当医からの病状説明
一週間ごとに息子の治療内容についての説明があり、夫と説明を受けました。
現在の治療:無呼吸治療、強化母乳
●呼吸:鼻マスクで高濃度酸素投与継続中。無呼吸がみられる為、無水カフェイン(レスピア)という薬を胃管から入れています。
●栄養:点滴は抜去し、経腸栄養(胃管)からに切り替えます。
搾乳した母乳に強化母乳(HMS-2)を混ぜ23ml×8回投与しています
(※強化母乳:呼吸が不安定で母乳量を増やすのに時間がかかる低出生体重児に使用。タンパク質、カルシウム、リン等必要な栄養分を補う事ができる)
消化の様子を見て量を調整していきます。
・体重は1.276gです。生理的体重減少(産後直後はインよりアウトの水分量が多く一時的に体重減少する)により、1,389gから1250gまで減りましたが、増えてきているのでこのまま様子を見ます。
行った検査、必要のある検査:脳室周囲白質硬化症、未熟児網膜症
●神経:脳室内出血なし。
脳室周囲白質硬化症Ⅰ度。
→退院前にMRIを撮り、再度確認します。
(脳室周囲白質硬化症:脳の中の「脳室」の周囲には、神経線維が行き来する手足を動かす神経が通っている「白質」という領域があり、産後脳に酸素が行き渡らなかった為、運動障害を引き起こす病気。 白質は血液の届きにくい場所で、早産児は特に血管が出来上がっていない為起こりやすい)
●未熟児網膜症:眼科の先生に週1~2回診察してもらいます。
(未熟児網膜症:眼の奥にある網膜が十分に成熟しないまま生まれ(36週頃完成するそうです)、網膜の血管が異常に成長(伸びて)してしまう病気。高濃度酸素を投与する事で血管が伸び過ぎてしまう。。)
早産してしまった事で、酸素量が足りていない事でもたらされる影響は大きいと改めて思い知りました。。
私のせいで息子の人生を変えてしまったかもしれない。。
不安で押し潰されそうでしたが、救いだったのは、「先週と比べて母乳量が増えました!」等の良い方向に向かっている事を強調して話してくれる事でした。
息子の担当医は一貫して、様々な症状が出る確率やもし、症状が出た時の治療法等は言いませんでした。
夫も確率の話や「もし…」という言葉は一切発しませんでした。(後で聞くと検索はしていたそうです)
私はこの頃目の前の息子を受け止める事で精一杯で、何かを検索してマイナスな事を知るのが怖く、ネットは開きませんでした。覚悟がなかったのが大きいと思います
そして、病状説明を受けると、自分達がいない時にもたくさんの治療や検査をしてもらっているんだなぁ。息子は本当に頑張ってくれているんだなぁ。と整った治療環境、医療スタッフ、息子に改めて感謝できました。
修正32週、できるケアが増える
31週までは保育器の中で子宮と同じ環境で過ごす息子を静かに見守るのが基本でしたが、32週から抱っこやカンガルーケア、オムツ交換ができるようになりました。
32週で全身の皮膚の感覚が完成するそうです。
生後16日目、初めての抱っこ
この日産後初めて抱っこができました。
育児支援ノートには抱っこの仕方も記載されていて、
「点滴のルートやモニターのコードなど、抱き上げる時に妨げるものはないか確認をし、掛け物を足元などに寄せましょう」から始まり、「座る場所(イス)の確認してから座り、体勢を整えましょう。」等事細かく書かれていました。
産後我が子を抱っこする。
当たり前だと思っていた事が、すごく大それた事のように書かれていていました。
抱っこできる日を楽しみに、何回も何回も読みました。
実際に抱っこする時は、看護師さんがルートやコードを持ち上げてくれ、
小さくて折れちゃうんじゃないかとドキドキしながら抱きかかえました。
両手で十分おさまってしまう息子、本当に軽かったです。
自分がこれから向き合っていく命、本当に重たかったです。
そして何より、可愛かったです。本当に本当に、可愛かったです。
ただのタイミングだと思いますが、私が抱っこしたら泣き止み、一生懸命服を掴んでくれる姿に癒され、涙が出ました。
何度も息子の名前を呼びました。
産後16日目、初めてのオムツ交換
この日はオムツ交換も初めてできました。
もちろん、育児応援ノートも読みこんでいました。
仕事でオムツ交換はしてきたし、友達の赤ちゃんのオムツ交換もみてきたし、イメージできていたつもりでしたが、、
5Sサイズのオムツは想像以上に小さく、息子の足を持つのが最初は怖かったです。
でもしっかり足を動かしている姿を見て、元気があるんだなと安心していました。
(写真は看護師さんです)
息子の様子:無呼吸発作
面会の時にもたまに無呼吸になる事があり、モニターにうつっているSpO2(体内の酸素濃度)が30くらいまでさがってしまい(正常が95%以上)、アラームも鳴るので最初は慌てていましたが、身体を揺するとすぐに上昇していました。
人間の慣れ…順応力って本当にすごいと思うんですが、SpO2が下がりだしたら、看護師さんがくる前に刺激を与えたり、体位の調整をしたり、体が動くようになりました。
抱っこするまでは保育器の外から触るのさえ怖かったですが、少しずつ自分達でも息子の快を整えれるよう、環境を整える努力はしていました。息子に触れている事で、私の心も安定していました。
そして息子は体勢が気に入らないとよく動いていて、その姿を見て安心していました。
あと目が少し開くようになり、安心したのを覚えています。
手を握ってくれるようになったのも、嬉しかったです。
自分の体調
これはいらない気もするんですが、備忘録も兼ねて。
私は退院後できるだけいつも通り生活していたくて、家事は出産前と同じレベルでしていました。(元々そんなに大した事してないんですが)
家で一人になる時間は、産後なのに私は何もしていない。と辛くなっていました。気を紛らわそうと雑巾がけやお風呂掃除をして、しんどくなるという負のループでした。
夜中の搾乳はまだ泣きながらしていた気がします。
搾乳は600-700ml/日でるようになっていましたが、絞り過ぎたら痛いし、しこりができて母乳外来に行ったり、、何より夜中は特に母乳パックにうつしながら、あれ?私何しているんだろう と思う時があったりしました。息子が近くにいない搾乳が一番辛かったかもしれません。
その辛さが上回って傷の痛みは思い出せません。まだ痛かった気もしますが、なんとなく痛み止めは飲めませんでした。
でもどんなに辛くても、病院に行けば頑張ってくれている息子に会えました。
搾乳を労い、優しく声をかけてくれる看護師さんがいました。
出産する予定だった病院のお産のしおりを泣きながら破って(←今思えば怖いですが笑)気づけば夕方になっても、夫が帰ってくるからご飯を作るという自分の仕事があり、笑顔で帰ってきてくれる夫がいました。
夫と息子に会いに行く時間がとっても幸せでした。